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現実 [日記]

毎朝、これは夢じゃなくて現実なのだ、とニュースをみて思い知らされます。

今日久しぶりにアパートの人と話したけど、
夜、外は雪で、繰り返し余震が続きあっという間に暗くなっていくなか、
子どもたちと部屋にじっとしているのが
すごくこわかったよね、と。
この会社、どこの旦那も誰も帰ってこないし。
(まぁ、帰ってこれない仕事でもあるんだけど)

でも、その時はまだ、
沿岸でここまでの事態になってるなんて、思いもしなかった。

***
うちの娘たちは、昨日あたりから、だいぶ落ち着いてきたようです。

私の一番古い記憶は、日本海中部地震(1983.5.26)

一部の記憶だけだけど、当時二歳11カ月。
きっと、上の娘も、断片的にでも覚えてるのではないかな。


私たちの本当に身近な友人・知人は、盛岡へもどってくることができ
ほっとしているところです。
まだまだ心配はつきないですが、
各避難所の名簿も明らかになってきて
連絡は取れないけれど無事がわかる人もたくさん出てきました。
物資がくまなく届きますように。
一人でも多くの人が助かりますように。

でも、改めて、現場では、どこでも報道されていない、
とても壮絶で悲惨な事が起きていることを実感しました。

石巻にいなくて良かったね、
と、何人かの人に言われたけど、
一緒にいた人が大変な思いをしたと思うと
素直にそうだね、と言えない自分がいます。
一年半前まで、私もいたのに。


釜石にいる義祖母と義伯父は無事だった。

陸前高田で、迫りくる津波から
子どもを抱えて逃げ出した友人。
いろんな偶然と周りの協力があり、
無事に助かったそうです。
初めは本当に本当に心配していました。

石巻の自分の住んでいたアパートは、
高台にあるので津波には飲まれていないだろうと
当初は考えていたのですが、

確かに津波には飲まれなかった、
けれども、津波がすごい音を立てて、すぐ下までの
街を飲み込むのを見、
近くの工場が燃えるのを見、こちら向きの強い風で
火の粉が飛んでくるのがそれはそれは恐ろしかったそうです。

夫は一緒に仕事をし、
私も毎日のように顔を合わせて暮らしていた、
お世話になった方たちが、
命こそ助かったもののライフラインはおろか
物資も届かない状態で、辛い思いをしているのに
何もできない、何もできないとすごくつらかった。

時々来るメールで、夫を通じて
会社に伝えられる事を伝えるくらいで、
私が出来ること、は本当に本当に少しだった。

私はこんな所で、ほとんどいつも通りの生活をしていていいのだろうかと。

私が住んでいた、知っている街がもう、無くなった。
それでも胸がつぶれるほど苦しいのに、
自分も被災し命からがら逃げてきたのに、
愛すべき実家も被災している友人、知人もいます。

言葉もありません。

そして大好きな仙台が、何度も訪れたあの浜も…
仙台空港も………。

津波の影響は無い内陸部もライフラインが止まり、
揺れによる建物の崩壊、
仙台駅の被害をみたりするとかなり心配でした。

福島は、被災した上に原発の危険が間近に。
もちろん、原発に何かあれば、福島県だけの問題ではないけれど
近いだけにずっとずっと不安だと思います。

他人ごとには、とてもとても思えない。

でも
盛岡の被害が少なかったからこそ、
岩手県は県の機能を完全に失わないで済んだ。
もし全てがダメになっていたら、もう、終わりに等しい。
被害が無かったからこそ、ここからできることがある。

節電もそうだし、買いだめはしないとしても、きちんと消費する。
余裕があれば外食もする。
そうでないと、経済も止まってしまうんだもんね。

いろんな意味で少なからず厳しい生活は待ってると思うけど
この先もみんなが笑顔で過ごすことができるように。

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盛岡より [日記]

五日夜に電気回復。
初めて映像をみた時は本当にショックでした。

知っている街が。友人が、知人が、親戚がいる街が。
住んでいた街が。

泣きそうになるのを堪えています。
上の娘は、とても元気だけれど、余震、風で窓が鳴る度に怖がっています。
様子をみがてら買い物に行きたいが、抱っこでなきゃ嫌だと言ってます。


直後はずっと震えていました。
下の子も、ずっとぐずっています。


私は娘二人とスーパーにいました。
下の子をおんぶしていたので、上の子を抱えて外にでました。

自宅は近いのですぐ歩いてアパートへ戻ると、
出ていた近所の方や同じ社宅の皆様と話をする、その間も続く余震。
夫からは連絡がある。ただし支店からはまだまだ帰れないとの事(他の旦那さんも同じく)

それぞれ一度部屋に戻ると、怖がって離れないなっちゃん、背中で泣くみーちゃん。
なんとか部屋の中からラジオと電池を引っ張り出し、情報を聞く。

どんどん暗くなり、雪も降り始め、外に出るのは厳しいと感じる。
寒いので布団にくるまろうとすると寝る、と泣く娘。
横になって布団に入ると、平常心を保とうとしたのか、絵本を読んでいつものように寝たがる。
だが余震の度に震える。
途方にくれていると、市内の義父母が向かっていると夫から電話。

au同士はまだまれにつながるが、docomoとはだめ。
auトップも、171も、ツイッターも、初めは見られたmixiにもつながらなくなる

義父母が到着し、私もホッとした所に夫一時帰宅、防寒用に着替えを持ちまた支店へ。

私たちは旦那実家ですごす。食料も明るいうちに義母が用意していたので充分。

横になっても揺れるので大人はあまり寝られなかったが、
上の娘は寝てくれてよかった。

昨日は夫は一日仕事へ。義父は仕事へ顔を出したあと、買い出しへ行ってくれ、小さい薬局でオムツや食料を確保。
スーパーやドラッグストアはどこも100人以上が並んでいたそうだ。

昼から断水。
夜また暗い中不安だったが電気が復旧してほっとする。

昨夜自宅アパートへ戻りました。
陸前高田の友人家族の無事がわかり泣きました。

今後も余震が不安で仕方ありませんが、
うちはライフラインすべて復旧しました。

被災地の皆さんが、一人でも多く早く救助され、
支援の手が行き届きますように。

何ができるか。

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